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 The Essential りんご Songs / ひつじ 
        Songs 1978-1994
 SYMPATHY for the DINOSAUR
 
 全曲解説!
 
 印象派野郎
 Rec./1986, Remix/1989
 
 伝説のTrumpet奏者、菅野亨氏(後述)より、アップライトピアノを購入した事で、
 その後暫くは、まさしく“ピアノ・フオルテ”なダイナミックレンジの、
 磁気テー プヘの移し変え作業に、喜びを見出すこととなり、そのきっかけとなった作品。
 タイ トリングは、ヘりくだっているが、これこそ元祖!御家芸的一発芸系インプロヴィゼイションである。
 (直感的、超現実的と云うよりは、むしろ肉体的インプロヴァイズであることに着目!)
 
 
 
 非難 GO GO
 Comp./1980, Rec./Mar.29 1981, Over Dub. & Remix/1989
 
 湖陵高校-器楽部時代の同胞2名に付いて言及している。
 森孝博邸にて、アドリプで作詞作曲の後、O芸大-阪南スクールコーポにて、
 カセットデッキ2台のダビングによる多重録音で、
 正規レコーディング(植田氏所有のヤマハ・レスポールを使用)。
 『からかわテープ』製作時に、マスター(カセットテープ)を、マルチトラックに移し替え、
 KORGのリズムマシンを、マニュアルで指で叩き、ドラムトラックを加えた。
 当時の作風(レコーディングも含む)を遺憾なく発揮した、屈指の名作。
 
 
 
 わるぐち
 Rec.1978, Mastering/1989
 
 湖陵高校-器楽部時代の同胞1名に付いて言及した、
 典型的な多重録音実験作品(カセットデッキ2台のダビングによる多重録音)。
 当時のエピソード等については『からかわテープ』特別付録インタビユーを参照のこと。
 
 
 
 ケンタッキー '79
 Rec,/1979, Mastering/1989
 
 これも多重録音実験作品の一種ではあるのだが、
 明確に作品としての完成へのイメー ジがあったことを考えると、
 初の記念すぺき“正規作品”であると言える。
 その証拠に、正規録音を行う前の、プリプロともいうべき“デモトラック”'が存在している。
 更にそれを元に、レコーディングの計画を綿密に立てている(例によって授業中なのだが)。
 「非難 GO GO」にも“デモトラック”が存在しており、そう考えると、
 この2曲は当初から“完成品”を作る、という意識でレコーディングに臨んでいたことがわかる。
 ごく初期の段階での、こうした意識は非常に見上げたものであるが、
 と、同時に、その明確な作品に対する意識こそが、その後の自分を追い詰めていくことにもなるのである。
 (後年、幾人かの仲間に指摘されることである。)
 
 
 
 ロックンロール・メドレー
 Rec./1979, Over Dub. & Remix/1989
 
 諸事情による目的意識の喪失により、既製音楽への逃避を図った作品。
 当初のラインアップでは『からかわテープ』収録曲となっており、したがって、
 その際に、すでに、編集及びデジタルマスター化されている。
 ここでのプレイの余りのひどさは、初めから意図したものではない。だがこういう事になってしまったのだ。
 この録音が上記の作品から僅か2か月後であることを考えると、
 人間の明暗というものは、表裏一体で、実に呆気ないものなのだ、と云う事であり、
 果てしない無常感が、醸し出されている。
 この、よく訳の分からない代物を“作品”としてカタログに加えておくことで、
 自分という者を、よりはっさりさせておくと云う事であり、まさに“本質”にとっては、
 極めて重要な作品となっている。
 (なお、後半部分は後年付け加えられたもの)
 
 
 
 これが青春だ!
 Comp./1980, Rec./1982
 
 大阪時代に、曲としては既に出来ていたものを、その2年後に正規録音したもの。
 カセットデッキ2台のダビングによる多重録音としては最後の作品であり、
 録音終了した直後にマルチトラックを購入したため、それを使用してBassをダビングしている。
 この作品も評判が良く、周りの人々に人気があったのだが、
 『からかわテープ』ラインアップからは漏れてしまった。
 理由は定かではないのだが、どうやら、ちやんとやり直そうとか、
 これは正式な作品なのだから、封印的意味合いを持つ作品集なんかには収録しないとか、
 時代性が強すぎて現在としては辛いとか、そんな理由だったように記憶している。
 いずれにせよ、忘れられてしまうには、惜しいと思うのだが、
 今一つ、この作品に付いて歯切れが悪くならざるを得ないのは、
 曲目体は良いと云う事は認められても、
 録音としては、余り自分らしくないようだ、と感じてしまうからだろう。
 それは時代性、公共性というものに、必要以上に迎合している、と強く感じるからである。
 しかしそれもまた、この当時の自分の姿なのであり、即ち、1982年ということである。
 
 
 
 ことぱは…
 Rec./1982, Remix/1990
 
 ここでやっと、この音楽性が登場する。
 歌唱自体が良ければ、問題ない作品である…と、思えるのも今だからであって、当時はとても嫌っていた。
 要は、照れくさいと云う事である。
 この系統の作品としては、現在聴くと通過点にすぎないことが分かるが(と、いうより出発点である!)、
 これはこれで頑張っている、心象風景的小曲である。リコーダーは、大沢裕氏。
 
 
 
 ぶりっこ Song
 Comp.1982, Rec./1984, Remix/1990
 
 上記の作品もそうであるが、新たな方向へ歩み出しつつある時代だったようだ。
 1982年に作った(タイトルがまさしく物語っている!)曲を、1984年レコーディングしている。
 この頃は個人ではなくユニットとしても活動しており、自分を含む3名でレコーディングを行った。
 緊張感のないドラミングが、そのプロジェクトが失敗に近いものだったことを物語っている。
 とはいうものの、第三者と顔を合わせつつ音を組み立てて行くという作業は、
 ある意味で刺激的であり、楽しくもあった。
 要は、誰でも良いというわけではなく、良く合ったパートナーと出会うという事がすぺてである。
 結局は、3名というよりは徐々に2対1という状況になっていった。
 これも、ある意味、通過点ということだろう。
 なお、1984年King Crimsonの来日公演に足を運んでおり、
 この作品の後半部分を例にあげるまでもなく、影響は強く残っている。
 また前半部分に顕著であるように、ナイアガラ的な影響も感じられる。試行錯誤的な作品だ。
 A.Guitarsは、3名による2回のオーヴァーダビングで Spector Sound化した。
 Bass及び Guitar Soloは、泉沢康弘氏。干葉県八街町(当時)の、なかつる邸にてレコーディ ング。
 Vocal及び他のオーヴァーダビングは帰宅後、みすず荘で単独で行った。
 
 
 
 Good Morning
 Rec./1984
 
 上記のレコーディングにて。
 この作品は、この後3名でも録音されており、と云う事は、このテイクはデモトラックだったのである。
 こちらが選ばれている理由は、ただ単にこちらの方が、ましだったと云う事である。
 この曲でも著しく緊張感を欠くドラミングが聴ける。
 曲そのものの善し悪しというよりは、1984・夏、という事を物語っている作品なのであり、
 今となっては、嫌なこともあったのだろうが、総体的には、楽しい思い出の一つであり、
 良い経験だったと云う事である。Bassは、泉沢氏。
 
 
  
 
 
 君はHEROになれるよ
 Rec./1984
 
 ミラージュのCMに曲を付ける、という実習でのボツ曲。
 出だしの、オリンピック・ファンファーレ調の素晴らしいTrumpetは、菅野亨氏によるものである。
 この作品も若干、Crimson風に味付けされていて興味深い。まさしく1984年である。
 後に明らかになることであるが、1984年には一旦創作のピークが訪れている。
 内外の事情を含め、刺激的な1年だったといえるだろう。
 
 
 
 Back ln The U.K.
 Rec./1983
 
 John Bonhamの死により解散したZEPの『最終楽章』発売によって改めて感慨に耽り、
 影響力の強さを実感したのは、なにも Phil Collinsに限ったことではなかったのである。
 この画期的なスーパードラムサウンドは、録音用ウォークマンによってレコーディングされた音源を、
 ギター用ディストーション及び、コンプレッサーに通すことによって得られたものだ。
 さらに後半に至っては、フランジングさえ行なわれている。
 Carl Palmerではないが、これこそ、ドラマーのための音楽であろう。
 結局タイトルのリフレイン以外のメロディーを付けられなかったことからも、
 この作品が既にこの時点で(少なくとも自分のイメージとして)完了している、と云う事を物語っている。
 ドラムは、江戸川区立M第六中学校で録られたもの。
 
 
 
 ケンタッキー '83
 Rec./1983, Remix/1989
 
 ヤオヤ系リズムマシンTR-606を駆使した究極のドラムマーチ。
 これこそプラバン系パーカッション奏者の面目躍如である。
 1983年という時代を考慮すれぱ、なかなか画期的だということが分かるだろう。
 音質の不明瞭さのためディテールまで聴き取れないのが残念である。
 「ケンタッキー」についての詳細は、前出のインタビューで。
 
 
 
 Everybody Knows
 Rec./1984, Remix/1989
 
 前出のインタビューにある通り、他人のレコーディングで使用したドラムトラックをそのまま流用した作品。
 ある人物の言動等に、強力にインスパイアされ制作したのであるが、
 その人物とは、墨田区の某吹奏楽団の元団員である。
 この様に、特に初期の作品に顕著に見受けられるのだが、
 ある特定の人物について、時には悪意を持って言及し、、またそれが、
 制作を行うに対する強力なエネルギーになってもいる、と云う事があり、
 これは私の、作品に対する制作姿勢を考えるうえで、人間性も含め、非常に興味深いことであると思う。
 そういったことも考えて行くと、作品としては、それほど重要ではないが、
 詞のモチーフやマイナー調の曲といった、
 後に確立されて行く作風がすでに顔を覗かせていると云う点で、興味深くはある。
 
 
 
 ミラージュ 30秒
 Rec./1984
 
 これもインタビューに詳しいので多くは触れない。
 まさに1984年、絶好調!
 
 
 
 僕の名前を誰かが呼んでいる
 Rec./1989
 
 これは聴いて判る通り Good Morningを改作したものである。
 きちんと作らねば、と妙に意識して律義にプレイしていた頃の作品で、
 今聴き返して見ると、あまり面白味が無いのもまた事実である。
 ただ、演奏力の進歩という点では努力の後が見受けられ、
 詞作に対する姿勢も積極的になってきている、と言う事は興味深い。
 
 
 
 
 星置の少女
 Rec./1987
 
 これもまた、過去よくあったように、別のレコーディングで使用したドラムトラックの流用である
 (…と言っても、これはドラムマシンだが…早く自分のを買え!)。
 この作品は、何故か他の作品とは毛色が少し違い、それも相俟って仲々魅力的である。
 更に、この曲は、長い間、オムニバスの中の1曲として存在していたので、滅多にプレイバックされず、
 それもまた、怪しい雰囲気に拍車を掛けて、幻の作品然とさせている要因になっている。
 タイトルの“星置”というのは札幌近郊にある実在の地名であり、JRの駅名にもなっている。
 そんな事から、その名前のイメージで、一発、曲でも作ってみようと思い立ったわけである。
 浮遊感一杯の和声進行と、それを彩る舶来物シンセサイザー及び
 1トラックでは惜しいほどの、幾眉にも重ねられた声の壁が、絶妙である。
 信じられないことに、これらはすべて思い付きなのだが、それにしては完成度も高く、
 その後、この手の作品を作る際の、基本フォーマットとなったのは当然の結果であろう。
 
 
 
 お正月
 Rec./1987
 
 あまり知られてないことなのだが、これはリメイクである。
 初期のヴァージョンは、1983年にレコーディングされた。
 後に諸事情により、このテイクはボツとなり、盟友 HighTone忠孝氏をVocalに迎え、再録音された。
 いわゆるコメディーソングであり、2名の声のマッチングが素晴らしいという以外では、
 取り立てて意義のあるレコーディングではない。
 だが一連のパロディソング群の中では、この曲の持つ、ある種の適当さが、
 安らぎ感のようなものを醸し出しているという点で、他とは異なっている。
 
 
  
 
 
 恐竜に捧げる歌
 Comp./1986, Rec./1988-1992
 
 インタビューの通り、何曲かの作品をまとめて1曲にしたもの。
 初めから構成を練ってあるドラミングが、実はとても聴きやすいことに気付く。
 “ちやんとした楽曲”時代の始まりであり、ポップソング時代の到来である。
 記念すべき第一曲目としては、じわじわと盛り上がって行くところや、サビを安売りしないところ、
 比較的シンプルなアプローチを心掛けたところなど、実に素晴らしい、と自画自賛している。
 
 
 
 …and In The Middle of The Night…
 Comp./1984, Rec./1984-1992
 
 鈴のオーヴァーダビングを思い付かなかったら、ボツにしていたかもしれない…、という
 幸運な、この作品に費やした時間といったら…。
 しかも、その内の殆どは、アカペラ以外の部分に充てられたのだった。
 ただの“アカペラの実験”という存在で終わらず「作品」として完成して、
 本当に良かったと思っている今日この頃である。
 
 
 
 Drinking with Jioy Page & Peter Gabriel
 Comp./1986, Rec./1986-1992
 
 実はこの2人のことである。
 タイトリングは、例によって、へりくだって居るが、実験としては、仲々興味深いものである。
 こうした事が、常に頭の中を渦巻いている、分裂気味の自分も、本質と言う事だ。
 録音方法については、インタビューを参照。
 
 
 
 悲しみのヘビースモーカー
 Comp./1984, Rec./1988-1994
 
 創作のピークを迎えて充実していた、1984年の最後を飾る、極め付けがこれである。
 この後暫くの間、代表曲となったのも当然の快作。
 これも例によって、ある特定の人物を俎上に載せているようにも見えるが、
 実は、それになぞらえて一般的な人間関係の無常感もテーマにしている。
 これにも2ヴァージョンのデモが存在しており、
 最終ヴァージョンとなった本作では、練りに練られたスリリングな場面展開が聴ける。
 参加している2名のプレイヤーも、水を得た魚のごとく、得意技で要所を固めている。
 Guitar 花島悟氏、Bass 川原田学氏。
 ドラムとべースの、レコーディング時のVTR映像が残っている。
 
 
 
 高田馬場のテーマ
 Rec./1992-1994
 
 銭湯で入浴中に思い付き、その後忘れていたが、
 地下鉄東西線で当駅を通り掛かった際に思い出し、速効でレコーディングに臨んだという、
 まるで作り話のようなエピソードが残っている。
 皆さんのこ推察通り、よくよく耳を傾けて頂ければ分かることだが、
 Vocal録りの際、途中何度も吹き出している。
 また、このドラムは別の曲の録音のNGテイクの流用であり、
 ボツになった主原因であるテンポの不安定さ、不必要な派手さ、下品さ、といったものが、
 逆にこの作品においては非常に効果的である。
 前半のプレイク部分に登場するVocalアドリブは、Mike Loveの真似である。
 さらに、中盤にはYoko Onoのパフォーマンスのパロディーも登場し、
 洋楽オタクには楽しめ る内容となっている。
 十分楽しめる作品なのだが、インパクトが強い分、イメージの固定化にも繋がりやすく、
 初心者には、余りお勧めできない作品かもしれない。
 
 
 
 それぞれのクリスマス
 Comp./1987, Rec./1994
 
 初期のヴァージョンは、諸事情によりイメージ通りのレコーディングができなかったため、
 もう一度やり直すというのが作者の長年の懸案であり、それが1994年に実現したものである。
 レコーディングに参加した2名の落ち着いたプレイが、作品の良さを際立たせている。
 この曲も、この手の作風の始まりであり、何者も寄せ付けないような孤高の美しさのようなものが、
 作品のテーマとも相俟って、独特の世界を醸し出しており、この曲を特別なものにしている。
 それは、年齢や経験を重ねてしまうと出せないような、純粋さを持っているからだろう。
 Guitar花島悟。Bassは、平山裕次氏。
 
 
 
 へい獣処理場のテーマ
 Comp./1988-1990, Rec./1991
 
 タイトルは、北海道東部の酪農地帯に実在する施設名であるが、
 恐らく、殆どの人は一生耳にすることがないであろう、不思議な語感の響きが魅力的である。
 いわゆる、洋楽っぽいサウンドには最適な歌詞であり、見事に溶け込んでいる。
 辛辣な追及を探すには、持ってこいであろうが、
 そういった“むら気”な態度はまた、反感にも繋がる要素であり、
 実際それが作品自体に緊張感を伴わせている。
 ただ、この作品は曲調自体が、そういう要素を含んでおり、ギリギリのところで魅力に転化している。
 作品の音楽性を良く把握した見事なドラミング、哀愁のギターサウンド、
 キーボード類の配置なども、プラスに作用している。
 歌唱が優れていると言うのも大きな要素だろう。
 次の段階へのステップとなった作品だ。
 
 
 
 さむがりくんのジレンマ
 Rec./1994
 
 サウンド的実験から、ジャンル試行錯誤へと、アプローチが変化していったことを現す、モチーフ的小品。
 タイトルはS&Gのパロディーである。
 
 
 
 サポーターになんかなるもんか!
 Rec./1994
 
 幾多の紆余曲折を経て、めでたくこの形となった。
 完成直前まで、この作品は、通称 “産業ロック”と呼ぱれており、
 それはそのまま、この曲の立場及び、姿を現している。(現在も仲間内ではその名称で通っている!)
 もともとは、第三者用に書かれたもので、
 実際、別の歌詞で他のアーティストに歌われたヴァージョンも存在している。
 この頃は平行してバンド活動もしており、
 そのメンバーだった平山氏のアレンジが、この曲の構成の元となっている。
 説得力が有りそうで、実は何も言っていないような、
 どう解釈して良いのか、よく分からない存在の作品であるが、Liveでは盛り上がりそうである。
 アーティストというよりは作家的な作品。
 メンバーは、花島悟&平山裕次。
 
 
 
 パブリー・ガール
 Rec./1994, Remix/1996
 
 これもジャンル的試行錯誤に近いのだが、初の外部発注のシュールな詞の世界も相俟って、
 独特の存在感を出すことに成功している。
 本人が手掛けた詞は、サビのタイトルリフレインだけで、残りはすべて常盤雅伸氏によるものだが、
 その二部分の相乗作用で、より真実味が増している。
 「非難 Go Go」時代に培われた批評眼の鋭さが、
 いささかも衰えていない事を示す、快心の一打である。
 印象的なBassのフレーズは、作者によって考え出されたものを、
 平山氏が若干手直ししてレコーディングしたもの。
 
 
 
 あしけい Girl
 Comp./1986, Rec./1994, Remix/1996
 
 JlMMY PAGE風に、いつか決めてやるぜ、という長年の望みが、やっと叶った作品。
 と、言うのも、たどたどしい奏法が、どこか作者を彷彿とさせる、と言われてきたからである。
 そして、それは、あながち“でたらめ”ではない事がここで証明された。
 あくまで本人の世界の中に限ったことだが、溜飲が下がる思い、とはこのことだろう。
 ドラマーとしてのキャリアを、遺憾なく発揮したドラムプログラミングや、
 不協和音的ギターハーモニーも、楽しさ一杯と言う感じである。
 Alembic Bassの特性を生かした、うねるようなフレーズも、変さを倍増させている。
 パロディーとしての音楽をやる場合、
 まず何より、演奏する本人たちが楽しまなけれぱ意味が無い、
 と言う事を思い出させてくれたのがこの作品であり、
 限りなく自己満足的な世界でありながらも、聴き終わった後に感じるのが、壮快感なのは、
 そういった楽しさに溢れているからだろう。
 なお、タイトルになった“あしけい”と言うのは、即ち“脚系”と言うことであり、
 脚の部分に、より一層魅力の集中している美しい、フォルムとしての女性を指して言う単語であり、
 考案者は難波厚平氏である。
 もちろん自分を筆頭に、この言葉の持つ魔力に、暫く取り憑かれた者が続出し、
 結果、とある職場に大流行をもたらしたのは、記憶に新しい。
 Alembic Bassは、川原田氏。
 
 
 
 
 *補足*
 
 1st.作品集となった『からかわテープ』のための、オーヴァーダビング、新ミックス制作
 及び、デジタル・マスタリングの作業は、1989年から開始し1992年にすぺて終了した。
 「全曲解説」に付記されている年号等の中で、Remix及び Masteringが、1989年となっているものは、
 基本的には『からかわテープ』のために行った作業であり、
 その表記の内、Mastering-という記述になっているものが、
 カセットテープのマスターを、そのままデジタル・リマスターしたもので、
 Remix-となっている方は、何らかの処理を1989年に加えてあるものである。
 (「からかわテープ」収録曲以外の作品の表記についても、 ほぼ同様であると考えていただきたい)
 さて今回の、この作業は、その『からかわテープ』的作業の続編的なものである。
 1992年の『からかわテープ』完成の後、残った作品は、
 当初の予定では、また新たな作品 として、練り直すなり、編集するなりして順次発表する計画であった。
 しかし、時は流れ、状況も変化し、そういった過去の作品は、過去の作品にすぎないのであって
 「解説」 内でも触れている通り、
 既にそれぞれの時点で終了していたのだ、と云うように考えを改めたのである。
 したがって、今回は“4chマルチ・レコーディング時代”の作品でも、
 その当時の“カセットテープ・マスター”が存在していた場合は、
 それを、そのままデジタル・リマスターし、リミックスは行わなかった。
 当時の自分の“感覚”と“耳”を信用したわけだ。
 これで、よりいっそう、“本質”らしくなったと思っている。
 
 こうして、ある時期によって区切られた過去は、カタログ化された。
 一言で言えば、これは、“ひとりオムニバス”時代である。
 後に明らかになったことであるが、これはある時期の、かの大滝詠一氏のアプローチと酷似している。
 当時、影響を受けたりする機会も無かった筈なのだが、
 ほぽ同時期、 或いは、同じような境遇の時期、と言った方が分かり易いだろうか…、
 似たようなコンセプトの、音楽制作を考えていた事が判る。
 (多分、表に現れにくいだけで、そのような事を考えている人は、結構居るように思う)
 これは、とても興味深いことであり、今後も研究の必要があるだろう。
 或いは、何等かの解決策への、ヒントと成るような気がするのだ。
 
 そういった訳で、偶然にも90分テープで、ひと括りにされた“時代”ではあるが、
 個人名ではなく“〜Songs”という名称を用いて来たことも含め、ある意味、象徴的な感じがする。
 ここまでに比ぺると、これ以後の動きは、明らかに違っている。
 オフコース的に言えば「ひとつ、角を曲がった」と云うことだろう。
 未来は、我々次第である。
 
 
    
 
 
 
 
 ◆覚書き-デジタル・マスタリングについて
 
 今回の作業により、作品として終了した、という判断が下されたものは、全てPCMにより、デジタルマスター化された。マスターは、全て“BETA”のVTRカセットを使用しており、それをデジタルコピーした“予備”が“VHS”カセットで作ってある。 
        コピーの方が、作品が整理してある(幾つもヴァージョンがある曲や、重複している曲、不必要な作品など)、と云うこともあって、通常、アナログカセットなどへのダビングでは、コピーの方(VHS)を使用している。
 
 
 ◆テキスト化記念、追加覚書
 
 BETAMAXのテープを使用したデジタルマスターは、1998年、ほぼ全曲DATテープにコピーされた。それに伴い、VHSコピーはすべて破棄された。その後の2000年、Webサイト製作に関する旧友とのやり取りの流れから、一連のセッションものアナログマスターの、デジタル・リマスターに着手。無事DATへの移し替えが完了。これによりセッション等も含む、過去のほぼすべての作品、音源がデジタルマスター化された。また、これでアナログ時代のマスターカセットデッキ、PCM時代のPCMプロセッサの役割も、ほぼ終了した。
 
 
 
 
 
 
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