ミニベストアルバム「マルコ.ポール」

マルコ・ポール(企画ベスト盤)
うた/演奏/作詞作曲:唐川真
1999.11.30 release / price:¥1500(tax in)
マルコ.ポール 収録曲
01. 僕は僕らしく
02.「君が好きだよ」Song
03. P.S.渚にて
04. 日曜日は大キライ!
05. それぞれの夏休み
- Bonus Track
06. 少年のつぶやき
07. 夢見る Blue Moon

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販売店

コーチャンフォー(釧路店)
indiesmusic.com muzie

ほか全国CDショップで取り扱い中(お取り寄せできます) !
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曲目解説

「君が好きだよ」Song
曲を作っているという話をすると、よく決まって
「また、君が好きだよ〜 とか、そんなこと歌ってるんだろ」
と嫌味を言われたものです。
そこで「そこまで言うなら、作ったるわい!」というわけで作りました。
つまり「心のラブソング」(ポール)の、僕バージョンというわけです。

それぞれの夏休み
「毎日が夏休み」という映画を観たときにイメージがわきました。
アルバム「マルコ.ポール」の表のジャケットと中ジャケの写真は、
その映画のロケ地なのです。→ Photo Gallery



毎日が夏休み
こちら


CDリリース記念 初 ソロ Live Year
こちら

 

記念写真


松本音楽事務所でのマスタリングにて
Coordinator 和田弘樹(左)と からかわまこと


CD発売記念 山田華世

 

13年目のリベンジ

製作から13年。やっと「本来の目的」である「全国リリース」が叶いました。
その辺の詳細は、ブログ『13年目のリベンジ』を是非どうぞ

ブログで触れてない部分について補足の説明をしますね。

1999年の時点で「ひつじ Songs!」と「to You」しかなかったのに、
何故ベストとして「マルコポール」をリリースしたのか。

実は、当時のインディーズのミュージシャンにとって
「フルアルバム」という形態は、すごくハードルが高かったのです。
もし機会があれば1999年頃のインディーズのリリースをちょっと調べてみてください。
殆どのアーティストが「ミニアルバム」のリリースだったはずです。
例えば aiko の『astral box』『GIRLIE』といったアルバムも、5曲入りミニアルバムですね。
当時は、それが普通だったんです。

CDを製作して全国リリースするハードルは、今に比べて何倍も高かった。
それはブログで書いたような、手続き面だけではなかったのです。

具体的に言うと費用ですね。
これが、現在の一般的相場と比べて格段に高かったのですね。
レコーディング費用そのものも、もちろん大変高価でしたし、
すでに音源が完成していた僕の場合でも、
CD化するには「マスタリング」をしなければなりません。
これも、例えば「1曲」いくら、という単位での価格ですし、
また、ジャケットも必要ですね。
曲数が増えれば、 掲載する歌詞やデータも増えて、
歌詞カードのページ数も増え、印刷代も掛かります。
そうした、CD化するのに必要なこと、
そのひとつひとつの単価、料金が、今よりも何倍も高くて、
長時間にすればするほど、収録曲を増やせば増やすほど、
どんどん制作費がかさんでいったのです。
いろんな意味で大変だったんだよね。

また世間的にも、メジャーではないインディーズは
「フルアルバムではない」というのが一般的でした。
それが「身の程」という常識だった気もします。
あまり認知されてない、
よく知りもしない「インディーズアーティスト」の曲を10曲も聴くなんて…
という、リスナーさんのハードルですね。それも考慮しないとなりませんでした。
5曲くらいが、適度な量で、親切だったのです。

そういう状況を踏まえて、僕のアルバムを、
全国リリースのためにCD化しましょう、という計画が立ち上がったとき、
やはり当然のように、フルアルバムは無理、
数曲に絞ってミニアルバムにしなければならない、となったのです。

もちろん、僕自身は、それは不満でしたよ。
実質2枚半くらい分しかないのに、
そこからベストを選ぶなんて…という矛盾した思いもありましたし。
でもCD化するには、その妥協も必要でした。
そういったこと踏まえて、関わったみんな、
hiroki wada氏やtori8氏、矢玉氏などと話し合った結果、
僕の要望も聞き入れてもらい、実質5曲入り、
それプラス、どうしても入れたかった2曲は、ボーナストラック扱いにして
歌詞なし、ジャスラック回避にして、負担軽減したうえで、計7曲。
それが「ベストだ」ということで決定しました。

今の常識から振り返ると、
なんであんなハンパな時期にベストがあるのか、と不思議に思ってた人もいたと思うけど、
実はそういった、当時の事情や時代背景があって、
必然としてそうなっている、ということだったんですね。
これで謎が解決しましたでしょうか?

そういった意味では、そもそも「CD化する」からベストにしたので
「マルコ.ポール」は全国リリースの為に「のみ」存在したCDなのですよね。
だから「全国リリース」していなければ、存在の意味が半減してしまう、という、
ちょっと悲しい運命の子でもあったわけです。

13年後に、まだこうやってCD出せたことには感謝だな、と思います。
当時は、13年後に自分が何をしてるか、なんて考えられませんでしたから。

そういう意味では、マルコポールを今回、全国放流できたのは
新曲 「愛と平和の街」が出せたからなので、
このシングルの存在は僕にとっては相当でかいんですよね。
閉じてたゲートを再び開く役割を果たしたわけで。
旧譜だけなら、わざわざ再リリースなんか、しなかったと思います。
新曲があったからこそ、古いのも聴いてもらいましょう、となったわけですから。

そうそう、あと意外ですが、
名前を「漢字」に「改名」したのはマルコポールが最初なんですよ。
初の「CD化」で漢字に改名。そして、それ以降のCDが3枚とも漢字のまま。
途中のネット配信「To ME」は、またひらがなだったのにね。
CDで発売された「FUSEKI」で再び漢字に戻っている。
この偶然は面白いと思います。
周りの人々が「ぜーーったい漢字がいい!!」と強く勧めてくれたお陰ですね。
ありがとうございます。笑。

もうひとつ。
13年も前のCD、まだ残ってたの?と言われるかもですが、
残って「なかった」ですよ。
それがたまたまなんですが、2012年5月くらいに、
あるお店の在庫がまとまって返品されてきて。
今さら、こんな戻ってきてどうするよ?って思ったのが最初でした。
今思えば、それも運命ですね。
その返品がなければ在庫はなかったのですから。
保存状態もよかったです。
じゃなかったら、売ろうとは思わなかった。ありがたいことです。

ということで、いろいろ熱く語りましたが、
マルコポールの本来の目的は「全国リリースすること」だったので、
その目的が果たされたので、
やっと「終了」ということで。めでたしめでたし。というオハナシでした。

\(^o^)/

2012年7月好日。




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