でゅわっ!



毎日が夏休み

昔 から何故か団地とかニュータウンが好きだった。なんか未来都市っぽいし(ウルトラセブン!)仲の良い親戚がマンモス団地に住んでいてよく遊びに行ったとい うこともある(因みにそれは札幌近郊の大麻の事だ)。どちらにしろ僕の生まれ故郷には無いものなので何処か憧れがあった。東京に来てからしばらくしたある 日僕はなんとなく多摩センターに行った。特にその頃は知識も無く名前に惹かれて行ったのだがなんとなく未来団地なのかもしれないと期待はしてたかもしれな い。そして着いてみるとまさしくそこには夢にまで見た未来都市が。しかも規模が半端じゃなかった。1982年頃の事なので今思うとまだまだ未完成だった筈 なのだがそれでもそれは僕が思い描いたニュータウンだったのだ。いつかきっと僕は素敵な女の子と出逢って一緒にここに住むんだ(爆)と心に決めたのであっ た。そんな日々も過ぎいつしか日常が忙しくなり夢も幾つか破れたり叶ったりそんなニュータウンの夢なぞ忘れてしまった。日本ではパンクが流行ったりしてそ んな価値観もバカバカしい物になったしバブル時代になると当たり一面そこらじゅうが未来都市のように変貌してしまった。それでも僕は未来都市そのものには 惹かれていた様で特にできたての光ヶ丘なんか好きでよく行ってた。(あそこはホントにセブンっぽかった)。でも多摩センターの事は記憶の遠いかなたへ行っ てしまった。その後僕は幕張新都心のホテルでバイトした(ここも未来都市だ!)。その日々はホントに楽しく毎日刺激も一杯で飽きなかったし街も新しくて綺 麗だったし。未だバブルの影響が残っていて将来の事を考えなければキリギリスのように毎日十分満喫できた。竜宮城のようにあっという間に3年間が過ぎた。 3年過ぎた頃僕は徐々に自分のやるべき事をやらなくてはいけないと迷い始めた。楽しかった3年間だが3年でだいたいやりたい事も学ぶ事も全てやり終わった ような気がしてた。その3年で作成した数々の作品も満足できるものになっていったしそろそろ卒業の時期ではないだろうかと思い始めた。そしてそれはこの3 年というよりは東京に来てからの15年間の集大成のような気がしてそれの卒業なんじゃないかと思い始めた。ちょうどバイトに来ていた大学生数人もまとめて 卒業の時期でそれに影響を受けたというのもある。とにかくこれ以上続ける事はホテル業が本職となり音楽を止めてしまうことだとは思っていた。そんな悩んで いたちょうどその頃僕はそのバイト先のホテルの客室で偶然宿泊客用有料放送の今月の日本映画としてローテーションに入っていた「毎日が夏休み」を見たのだった。こ こで映画に付いても述べなくてはならないが実は僕は大の映画嫌いだった。ちょうど僕が思春期の頃流行っていた映画がパニックものばかりですっかり嫌になっ てしまったのである。それからはほぼ13年間に渡り1本の映画も見なかった。全て毛嫌いしていた。映画オタクも鼻に付くETなんて馬鹿馬鹿しい伊仏芸術も のもくだらないと決めて掛かっていたのだ。それがこの「毎日が夏休み」で覆されたのだった。出ていたのが冬彦さん佐野史郎だったのも目を引いたしスギナの 子もよかった。が何と言っても僕の目を留めたもの。それはこの映画のロケ場所多摩ニュータウンだったのだ!見てすぐに判ったよ。13年も行ってない場所だ があまり変わっていないのもあってすぐにこれは多摩ニュータウンだと判った。その多摩ニュータウンで繰り広げられる現代版お伽噺のようなストーリ。全ての 事が13年前東京に来た頃の気持ちに戻っていくようだった。「毎日が夏休み」は1995年3月分の日本映画用プログラムだった。その後も3月中シフトの許 す限り客室に入れさせてもらって何度も「毎日が夏休み」を見た。そして僕は3月一杯でホテルを辞める決意をした。そしてこの映画には僕にとって重要なシー クエンスがあった。スギナが学校を辞めて帰る時に廊下でモジモジくんステップをする場面。僕はあのシーンを見てかつて同じ様に僕の前でモジモジくんステッ プを披露してくれた人物ヤマカヨのことを思い出したのだ。彼女は歌をやっていたしひょっとしたら僕の曲で歌ってくれるかもしれないと思い付いたのだった。 そんな事も心に留めつつ僕は3年間在職したホテルを辞めた。その後1年間に渡り作品創りレコーディングを行なった。ほぼ毎日試行錯誤と実験の連続だ。大変 だったが楽しくもあった。 辛くなるとお約束のように「毎日が夏休み」を見て元気を出した。だがだんだんレコーディングも進み徐々に苦しくなってくるとこんな毎日が耐えられなくなっ ていった。日々有頂天とどん底の繰り返しだった。このままじゃ危ないと思った。友人和田弘樹の勧めもあったし何か気分転換をしなくては「少年のつぶやき」 のボーカル録りがどうしてもうまく行かず死にそうな気分になった日ついに僕は多摩ニュータウンに行ってみようと思い立った。本当にそれは14年ぶりだっ た。京 王線に乗って多摩センターへ。なんだかまるで変わってないような気もするし随分変わったような気もする。いずれにせよ独特の壮観さは健在だった。建物と人 工の自然との妙なマッチング。これは多摩ニュータウン以外には無いものだ。そして僕が最後にここに来た当時に竣工したばかりだったパルテノン多摩。ここに 入ってみると何故かアイルランド映画特集とか言って幾つかまとめて映画が上映されていた。「毎日が夏休み」以来映画の封印も解かれた僕は勇気を出して映画 館のでかいスクリーンで映画を見てみることにした。なかなか楽しめた。アイルランドの海も寂しげでぐっときた。気持ちが洗われるようでなんだかよい気分 だった。でもそれよりなにより感動したのは実際にその場所に足を運ぶということがこんなにも重要なことなのかということだった。いくらテレビや映画で見て も実際の本物のその場所には敵わないのだった。そんな簡単で基本的な事も忘れて僕は創作活動なんかしてたのだった。その日僕は帰宅してから「少年のつぶや き」のその日のバージョンをボツにすることに決めて翌日ボーカルを録りなおした。そしていよいよ「それぞれの夏休み」のレコーディングだ。モジモジくんの ヤマカヨも歌入れに参加した。この曲の完成ミックスをプレイバックした時もう僕は思い入れが強すぎて平静な精神状態ではなく客観的な判断が出来なかった。 良いのか悪いのか決断できなかった。既に出来上がっている他の曲と一緒に曲順どおりアルバムのようにして並べそのテープを持って再び僕は多摩センターへ向 かった。僕にとっての夢の未来都市だった14年前の頃の気持ちで聴いてみようと。そんなことでもしなけりゃ全て消去しかねない程冷静な判断がつかなかった んだ。その時。そして坂を登って頂上のパルテノン多摩。そ のてっぺんで駅の方を見下ろしながら僕のアルバム「ひつじSongs」をプレイバックした。そして40分後。ラストの曲が「それぞれの夏休み」。最後の コードが終了。オッケー!これでオッケーだ!その時僕はやっと決断できた。これで良いと。細かい点は気になるけどそれも含めてこれで良いと。これで僕の東 京に来てからの14年間に区切りがつけられたのだった。Memories of 1996 にも在るように僕はこのレコーディングでさまざまな疑似体験(もしかしたら追体験だったかもしれない)をした。そうして最後にパルテノン多摩で最終決断し た時一人で東京に来てからの様々な事にも区切りを付けることができたのだった。この頃の作品をCDにしようと決めて打合せをした時インディーズなので収録 曲数は5曲程度にするべきだという意見が出た。僕は不満だったが売上げのことも考えそれで妥協した。そこで何を選曲するかという段になって僕自身よく考え ていない事に気付いた。イメージもあまり浮かばなかったのでどうしようかと思い悩んだ末キングレコードの佐藤広春氏のところに相談に行った。そこでいろい ろ話してるうちイメージが沸きなんとなく形が見えてきた(さすがプロデューサ!)。そうしてちょっと時代にそぐわない感じも有るけど今しか出来ないしモラ トリアム時代の集大成だし僕の他の曲をたくさん知ってた人はなんでこの選曲なの?と疑問に思うかもしれないけどそんなことも含めて全て考えた上であの選曲 になった。でせっかくだから僕の夢もはや形骸化しているがそんな事も含めた夢で直接のきっかけにもなった「毎日が夏休み」のロケ場所多摩ニュータウンで ジャケット撮影する事にした。撮影は和田弘樹。本当に彼には世話になった。暑くて大変だったが不平は言いつつも楽しんでやってくれた。僕は被写体に徹しス ギナを演じた。今時代的にはニュータウンとかニューファミリーなんてみんな夢だったかのように見事に終了している。あの映画のように実際は自分たちが自発 的に何かしない限り腐って行くものなんだ。でも僕らの世代や僕のような田舎もんはあんな少女漫画のようなスィートな夢の街にホントに希望を抱いてたもんな んだ。笑えない話だ。際住むのはどうかと も思うけれどそれでもあんな夢を見てて何処が悪いというのだろう。映画とか音楽のようにその一瞬でも辛い現実を忘れさせてくれる夢だったんだよ。その象徴 としてニュータウンは在った。今どんなに酷い状態でも表面だけ着飾っていて実際中身はバラバラでもそんなニュータウンだったとしても僕はお礼が言いたい。 一生ささやかなそんな夢を見てる人もいるんだ。そんな決意が出来たから僕はあの選曲でジャケ写も敢えてあの場所で。受けて立つ覚悟で決定された。トラブル も有ったが(チェリー野郎!)それでもあのCDは和田氏やデザインのTori8マスタリングの松本氏も含め全て素晴らしい。良い仕事だった。次も有るからな。楽しみにしてろよ(笑)。



ビルのう〜えのプラネタリウム♪





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