The Long and Winding Road
〜 フィル・スペクター極悪人説
(最終更新 2007年1月 〜 2012年6月 ←クリック)
このサイトのコンテンツと直接関係のあるものではないが、The
Beatles 関連では避けて通れない話題であるし、長年の疑問がほぼ払拭されたという、僕にとってきわめて重要な出来事もあったので、記念の意味も込めて書いておこうと思う。
2003年 1月
有名な「Get Back」セッションの全貌ともいえる音源を、遂に聴くことが出来た。ちょうど 34年後のほぼ同時期。こんな寒く暗い季節に、こんなことをやっていたのだなぁ…と感慨深いものがあった。
「Get Back セッション」に関するエピソードは数々あるが、中でもいちばん有名なものは「Paul McCartney氏、Long
And Winding Road における Phil Spector のアレンジに激怒!」というものだろう。一体真相はどうなっているのか。僕にとってもこれは長年の疑問だった。
今回聴いた音源に、この疑問を解決する為の素晴らしいヒントが隠されていたのだ。と言うよりは、これはもう、ほぼ「答え」である、と言っても良いのではないだろうか。結論から言うとポールはオーケストラにも怒ったが、もっと他に怒った部分がある、と。それに関しては、どうしても承諾することが出来ず、怒り心頭になったと思われる。これは意見の相違とか諍いと言ったものではなく、ミュージシャン、アーティストとしての本質に関わる部分であり、ポールの主張は極めて正当なものである。以下、詳細を記しておこう。
1969年 1月26日→31日
いわゆる「Get Back」セッションは 1969年 1月2日に開始され
31日で終了した。このうち前半のトゥイッケナム映画スタジオで行われたのは、スタジオ・ライブ(中止)に向けたリハーサルとその撮影で、極めてラフなもの。本格的なレコーディングは
1月22日、アップルに移動してからだ(ここで 10日に一旦バンドを去ったジョージ・ハリスンも復帰する)。ここでは正規レコーディングに向けたリハーサルが何度も行われた。そんななか、ジョージ・マーティンが顔を出し(26日。映画にも登場する日)
Winding Road のアレンジに口を挟む。彼はここでジョージ・ハリスンに、エレクトリックではなくアコースティック・ギターを弾いてはどうか、とアドバイスをする。ただしそれではサウンドが貧弱になってしまうので、アコギにピックアップを取り付け、アンプでも同時に鳴らし(レズリーをかけている)、両方の音をステレオで録音することにした。それがオフィシャル・リリースされたバージョンのオリジナルである(アンソロジーにも収録)。このテイクは正規レコーディングというより、まだリハーサルに近く、Bassを弾いていたジョン・レノンがエンディング近くのコードを間違えてしまう(最後の
Door〜の部分。進行を勘違いし本来 C
である部分を E♭で弾く)。また、リンゴ・スターのプレイも、いかにもリハという感じのラフなものだったが、そのいずれの演奏もそのまま残された。その後も同曲は何度もリハが重ねられ、セッション最終日(31日)にレコーディングされたテイクを一応完成バージョンとし、同バージョンが映画に採用された(映像版アンソロジーに収録)。
余談だが、この日(31日)は Let It Be も同様に完成されている。ただし正規リリース・バージョンは、大部分が神懸り的な名演だったものの、残念ながらハリスンの弾いた間奏のメロで一瞬、アウト・オブ・スケールになってしまう箇所があって、そのソロだけ後で差し替えの為レコーディングし直された。このダビング作業は何故か
2度行われ(4月30日と 70年1月4日)、シングルとアルバムでそれぞれ異なるギター・ソロが採用された(スペクターとマーティンのプロデュースの違い)。そのようなわけで両者が別テイクのようになってしまったのだ。ハリスンの間違えたオリジナルもレコードでは薄っすら聞こえる。この正規リリース・バージョンの次に演奏した最終テイクが、映画に使用された(映像版アンソロジーに収録。これが恐らく同セッションで演奏された最後の曲)。
Get Back → Let It Be (仮説 1)
さて、完成されたはずの 「The Long and Winding Road」であるが、グリン・ジョンズ編纂(5月28日)の「Get
Back(アルバム)」に、何故かそのテイク(31日のもの)は採用されなかった。彼はアコギの入った
26日のテイクの方を選択したのだ。これはジョンズの好みなのか、或いはポールが「どうでもいい」と言ったのか、真相は謎である。
70年になってスペクターが「リ・プロデュース」した際も、テイクの選択に関しては、屋上パフォーマンスを除いてジョンズのものが殆ど引き継がれた。彼は
Winding Road に関しても、そのままアコギ・バージョンを採用し、そこにオーケストラを加えた。ちなみに、このアレンジを行ったのはリチャード・ヒューソン(「小さな恋のメロディ」サントラやポールの「RAM」のインスト版「スリリングトン」のアレンジも行っている)。で、彼は歌のエンディングをジョン・レノンが間違えたコードのままアレンジした。つまり、本来
Cmである筈の部分を、平行コードである E♭メジャーでアレンジしてしまったわけだ。
ポール・マッカートニーは、その後も長年に渡り同曲をライブ等で再演し続けているが、その何れのバージョンも Cmで締めていることから、本来はやはり
Cmが正しいと思われる。というか、ここが違うとまったく別な曲なのだ(何故なら、このメロディで
Cmになるのはここだけだから。本来 E♭で良い筈の部分を敢えて平行コードである
Cmにして切なさを出しているわけ。その唯一のコダワリ部分を無くすということは…つまり、この曲じゃなくなるということだ)。ポールの怒りはもっともである。
Intermission
上記の 仮説 1「ヒューソン / スペクター勘違い説」は、実は 2003年に音源を聴く以前の仮説であった。
僕が映画バージョンと正規リリース・バージョンのコードが異なることに気付いたのは、高校生か大学生の頃だったと思う。Wings の Live
でポールは、同曲を前者のパターンで演奏していた。そのことから当初、正規リリース・バージョンの方はフィルスペクターが勝手に改変してしまったものなのだな、と僕は想像していた。その後、ジョーンズ版「Get
Back」を聴く機会に恵まれ、件の箇所がジョンのミスであることを知った。そのことから、新たに上記の「勘違い説」を導き出し、そう信じてきたのである。
だがその仮説も、今回の「全貌音源」により覆されることになった。まったく新たな結論が出たのである。つまり、それが「フィル・スペクター極悪人説」。「確信犯説」でも良いが。「新たな」というより実際は元に戻ったと言えるかもしれない。結局「極悪人」だったということなのだから(笑)。
…というわけで、新たな見解の詳細を 仮説 2 として以下に記しておこう。
フィル・スペクター極悪人説 (仮説 2)
フィルスペクターは言うまでも無くアメリカ人である。実は彼は、ヒューソン氏の行ったアレンジを気に入り、わざとそのまま残したのではないだろうか(或いは彼が指示した可能性も有り)。つまりジョン・レノンの間違いに乗じて、わざと改変してしまったということだ!
このアルバムの製作をするに当って、彼らがセッションのテープを聴いていないはずは無く、この箇所がジョン・レノンのミスであることにも当然気付いていた筈なのである(実際、同様のコードでプレイされたテイクは他に無く、しかもポール自身がメンバーにコード進行を教える場面まで音源には収録されている!)。そこは極悪人のスペクター、ジョン・レノンのミス・テイクを聴き「あれっ?こっちの方が良いじゃん。これ使えるんじゃん?」と気付き、作者には内緒で勝手に改変してしまった、と。曖昧な
Cmで、なんだかやるせないような終わり方をするよりも、ドカーンとキッチリメジャー終止したほうがスカっとするしー、ってな感じで。確かに、歌メロを主体に考えると本来の
E♭の替わりに Cmを置き「切なさ」を出した(ポールのアレンジ)と言えるが、反対にイントロのメロディを主体にして考えると、本来
Cmだった部分が E♭に置き換えられることで「力強さ」が出た(ヒューソン/スペクターのアレンジ)とも言える。これを言葉で置き換えると
Cm →「導いてくれるね?」 E♭→「導いてくれよー!」という感じになるだろうか(難しいね)。これが彼らの感覚や歌詞の解釈に合っていたのかもしれない。北米の音楽産業に長年携わってきたスペクターがそう考えたとしても、まったく不思議ではない気がするのだ。どちらに転んでも、メロディに対して一度だけしか登場しないコダワリの部分であることには変わりがないのである。そうしてセンチメンタル満載な「The
Long And Winding Road」は、大産業バラードとなって生まれ変わったのだ。
僕は当然のことながら、オリジナルの切ないマイナー・コードの方が断然好みであり、長年、これこそが本当の「The Long and Winding
Road」である!と主張してきた。しかし最近これも、アメリカ的、商業的には有りなのではないだろうか、と考えが変わってきたのだ。特に今回スペクターの意図が判ってからは。もちろん個人的好みは今でもオリジナルである。しかし、スペクター版も一つの選択として有りと。実際、世界中で多くの人々に今でも聴かれているのが、あの力強く訴えるように大団円を迎えるメジャー・コードのバージョンなのだから。
PS
でもポールは Cm だからね。
やはりこれがオリジナルで正しい「The Long and Winding Road」でしょ。
おしまい。
2003年10月10日 緊急告知!
Let It Be... Naked 収録の The Long and Winding Road は 31日のテイクと判明しました。つまりオリジナルで正しい「The
Long and Winding Road」ということです。これで、やっと貴方の「Let It Be」が終るんですね Sir
Paul。
オリジナル LET IT BE 見開きフォト
2004年 追記 〜 フィル・スペクターは本当に極悪人なのか?
自分でフィルスペクター極悪人説とか書いておきながら、今更なんだ?と言われそうだが、Naked 発売以降の世評、各種ライナー、評論等でのスペクターの扱いに関しては、ちょっとあんまりではないの?と疑問に思ったので改めて書くことにした。確かに僕は彼を「極悪人である」と書いた。しかしそれは、天才である彼に対する親しみを込めた上での発言だったのであり、まぁ殺人事件の容疑者であることを除けば、音楽的には決して今までの彼の業績が無になるわけでもないし、決して貶されるような仕事でもない。今も昔も「天才プロデューサ」であったという、その事実は変わらないのである。
新編集 LET IT BE...Naked もよくできた作品だと思うが、それを商品として売らんがため、正当化するため、かつてのスペクターの仕事である元祖「LET
IT BE」のアルバムをことさら否定するのは、ちょっと頂けない傾向であると思う。
回りの知人の話やネット上の議論を垣間見る限りでは、NAKED には概ね好意的であるが、かといって元祖 LET IT BE やスペクターに対する否定的な意見も特に聞かれない。つまりこれは、メディアや音楽関係者による、宣伝上の作為的論調だと思われる。タイミングよく事件を起こしたスペクターを、さらに追い込むかのように、それは執拗に続いているのだ。
果たして彼の仕事はそれほど酷いものだったのだろうか?改めて考察してみたい。
スペクター版 LET IT BE は架空のサウンド・トラック・アルバムである
ポールの Winding Roadのコードを意図的に変え、情緒過剰なオーケストレーションを加えたという点を除けば、スペクターはなかなか良い仕事をした、と言うのが今の僕の見解である。
ビートルズは計 5本の映画に出演している。本国イギリスではオリジナル重視ということでイエロー・サブマリン以外は、特にサントラ・アルバムという形での発売はなかったが、米国ではいずれも、ちゃんとした「サウンド・トラック」アルバムが発売されているというのが興味深い。
60年代、70年代の音楽事情を知っている人なら周知のことだと思うが、当時は映画のサウンド・トラックというジャンルがあり、ちゃんとした市場を形成していたのだ(ちょっと前に渋谷で注目された例のジャンル)。当時はビデオもないし、映画は劇場で見るものであったから、サントラはその記念とか思い出アイテムになるよう製作されていて、BGMはもちろん、効果音や出演者の台詞まで含まれていた。その辺は実にうまく作られていて、下手をすれば映画本体よりも音だけで聞いていたほうが良かった場合などもある。映画を未見で先にアルバムを聞いてしまい、想像を膨らませて実際の映画を見たらガッカリしたなんて話もある。
ビートルズの米国製サウンド・トラック・アルバムも、このような形を踏襲し、A HARD DAY'S NIGHT、HELP! の二枚とも映画に使用されたオリジナル曲数曲+オーケストラによるBGMという構成となっていた。最初のA
HARD DAY'S NIGHT は映画製作元のユナイテッド・アーティスツが発売したが、HELP! のほうは CAPITOLから発売されており、後者は日本でも発売されている。オリジナル・アルバムという点では、こうした行為は愚挙に当たるのだろうが、純粋に映画のサウンド・トラックと考えると、米国製作のこのアルバムも理にかなったものであろう。実際なかなか楽しめると思う。
話が長くなったが、スペクターが GET BACKセッションのテープから再編集し、作り出そうとしたものは「サウンド・トラック」アルバムではないだろうか、と思うのだ。それも実際の映画とは無関係な。
彼が実際の映画を見たのかどうかは判らない。もし見ていたとしても、そのひどい内容に絶句したはずだ。この映画に付随した形でサントラにしても、アルバム自体ひどいものになるのは目に見えていたはずである。もし見る機会がなくて、ただ単に、新しい映画のサウンドトラックも兼ねたアルバムだからそのような内容で製作して欲しい、と依頼されたのなら、いっそう辻褄も合う。彼はこれらの音源から一枚の「サウンド・トラック」アルバムを作ろうとしたのだ。
長年 スペクター版 LET IT BE を聞き慣れた人なら納得して頂けると思う。冒頭のジョンの台詞から始まり、随所に挿入されるメンバーのおしゃべり、コミカルなボケとふざけた遊びテイクに挟まれた
表題曲 LET IT BE、エンディングのジョンの有名な言葉。すべてが一連の流れとなって心に、耳に染み付いていることだろう。目を閉じて本来在るはずのない場面を想像しながらアルバムを聞けば、なかなか面白い映画なんだろうな、と感じるはずだ。スペクターは、これらの音源から架空のストーリーを作り出し、思い通りに並べ、本来存在しない映画の「サウンド・トラック」を創造したのである。ちょうど
10ccの「オリジナル・サウンド・トラック」のように。
それはもちろん、ポールや他のメンバーが目指した「限りなくレアに近い音」ではなかったかもしれない。だが、かつての米国版 A HARD
DAY'S NIGHT や HELP! やイエローサブマリンがそうであったように、サウンド・トラックと考えれば、よくできたアルバムなのである。このアルバム完成後ジョン・レノンは、その仕事に感銘したといわれているが、確かに好みはどうであれ、褒められるべき仕事だと僕も思う。元になった演奏は本当にひどいのだし、昨年の
NAKED のように、良いテイクやプレイだけ繋ぎ合わせてベスト・テイクを「捏造」することも不可能だった当時としては、やはり最良のものではなかっただろうか?
そうなだけに Winding Roadに於ける勇み足的オーバープロデュースと、ポールとの確執が、いっそう残念に思うのである。
ジェフ・エメリック著 「最後の真実」の記述
新たなるバイブルが発売され驚愕の真実が明らかとなった。詳細は是非、実際読んでいただきたいが、結論から言うと、やはり「わざと改変したらしい」!ただし、本文中の記述は「コードを少しいじってみた」であり、具体的にどの部分とは書いていない。なので、依然あくまで推測の域を出ないことには変わりがない。しかし、どの場所であれ「コードを変えた」ということは言語道断の行為であり、フィル・スペクターが(少なくともこの件に関して)極悪人であるということは疑いようのない事実であろう。そして、それがもし僕の想像通り、件の箇所であるとしたら…、それはおそらく自分で思いついたのではなく、ジョンのミストーンからヒントを得たのはほぼ疑いないのではないだろうか、と個人的に思う。正しいコードで演奏されたほかのテイク(31日の完成テイク含む)に、あのストリングスのオーバーダブは無理があると思われ、確信犯的にミストーンの含まれたアコギのテイクを選択し、オーバーダブを施したのであろう、と。
本書には、スペクターの行為に関して他にもいくつか記述がある。いずれも実に興味深いものである。またビートルズのレコーディング全般に関しても一読の価値はある。この手の事に興味のある方ならば絶対に読むべき本であろう。
さて、これで残された謎は、何故グリン・ジョンズが「Get Back(アルバム)」にあのテイクを採用したか、だけとなった(?)。まだまだ旅は続くのだ。楽しみは決して終わらない。
グリン・ジョンズの嗜好
僕が製作しているラジオ番組で、ストーンズのモノミックスとグリンジョンズの特集を行った際、いろんな発見があったので、ここで新たに書いておこうと思う。とは言っても、このトゥギャッターで殆ど纏められているので、詳細はそれを読んでいただくとして、端的に結論を述べると、グリンジョンズが、あれらのテイクを、アルバム「ゲットバック」に採用した、一番大きな理由は「それが好みだったから」ではないか、と、僕はそう思ったのである。トゥギャッターでも書いてあるとおり、ストーンズのLET
IT BLEEDセッションにおけるジャム「Jamming With Edward」の雰囲気は、アルバム「ゲットバック」とそっくりなのである(参照)。
また、もうひとつの発見があった。グリンジョンズ版ゲットバックに漂う一貫した音の雰囲気、もうちょっと具体的に言うと「リバーブ感」であるが、それはグリンジョンズが主に務めていた、ロンドンのオリンピックスタジオの音なのではないか、と僕は思ったのである。仮に、オリンピックスタジオ特有の音ではなかったにしろ(エコーチェンバー=リバーブはどのスタジオにも完備されているのが普通)、ジョンズが、こういう「音」を好きだったことは確かであろう。彼のプロデュース作品の音は、どれもこのような雰囲気が施されているからである(シングル版
Get Back も同様)。
フィル・スペクターの製作した、アルバム「LET IE BE」とグリンジョンズの「GET BACK」の違いは、採用されたテイクだけではない。「音そのもの」も違っている。そういった点をいろいろ合わせて想像してみると、アルバム「GET
BACK」は、そのすべて、つまりテイク、編集、ミックス、イコライジング等々、全部が(当初のコンセプトに副ったうえで)「グリンジョンズの好み」によって完成された、ということだろう。
グリンジョンズは、ジョンレノンに対し「プロデューサーとしてのクレジット」をしつこく要求した、とされている。最初それを知ったとき、レノンの考えと同じように、僕も「ただの売名」だと思った。しかし、こうしていろいろ合わせて考えてみると、明らかにグリンジョンズは「プロデューサー」的な重要な仕事をしていたのである。ただ、それがジョンレノンの好みではなかった、というだけに過ぎなかったのではないだろうか。
ジョンズとレノンの「確執」については、採用されたテイクに大いに問題があるからでは、と想像した。ポールマッカートニーの演奏楽曲は、どれも完成度が高く完奏もされており、クォリティ的に問題がないものばかり採用されたのに対して、ジョンレノンの採用楽曲は、ミステイクや、途中で終わってるもの、歌や演奏も酷いものばかりで、明らかにレベルが低い(Winding
Road のコードミスも同様)。これは、当のジョンレノンが当時ジャンキー気味で、音楽活動に集中できなかったゆえのことでもあるのだが、それにしてもカバーのしようがあるだろう。そういったフォロー的処置も一切なしに、なんでも「裸」でいい、とばかり、酷い演奏ばかりセレクト(しかも屋上ライブ、という完奏テイクがあるにも拘らず)されたのでは、ジョンレノンの立場がない、というものだ。ジョンの心境を考えると、却下して当然、とも思える。
スペクターに対するレノンの有名な発言で「フィルは奇跡を行った」というのがあるが、確かに、元々のジョンの状態から考えれば、アルバム「LET
IE BE」での「コーティング」具合は見事であり、この仕事こそが、フィルスペクターをジョンレノンに認めさせた、その大きな理由である、と思う。
時代はニューロック。演奏至上主義。グリンジョンズの「リアルなサウンド」造りは、それに合っていた。対して、3分間ポップロックをやっていた、ビートルズのようなスタイルは、しばらく苦戦していくことになる。
Wingsに於けるポールマッカートニーの復活は、そうした風潮が一段落した74年である。彼のライブレパートリーに「The Long And
Winding Road」が加わったのは、そのときからである。それもまた因縁かもしれない。
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